NBAだけがバスケじゃない!

NBA(National Basketball Association)は北米4大プロスポーツリーグのひとつで、NBAに参加しているチームは30です。30チームあればどこかに契約できそうな気持ちになってしまいますが、選手層もあついためNBAを目指してDリーグ(NBAデベロップメント・リーグ)やABA(アメリカン・バスケットボール・アソシエーション)などでNBA進出の機会をうかがうケースが多くなっています。田臥勇太さんだけではなく、他の日本人プレイヤーも在籍したこともあります。

Dリーグ

Dリーグは将来のNBA選手を育成する目的で2001年にリーグが発足していますが、NBAが後援しているプロバスケットボールリーグです。設立した当初はNational Basaketball Development LeagueのNBDLという略称で呼ばれていましたが、2005年からNBADLに変更されています。

バスケたのしいよバスケ

NBAマイナーリーグとして・・・

2001年(平成13年)に設立したDリーグは、初年度2001~2002シーズンは8チームからのスタートでした。設立した当初は、チームの所在地がアメリカ南東部に固まっていましたが、2005年(平成17年)にある発表があり大きく様変わりました。

元NBAコミッショナーのデビッド・スターンの発言です。デビッド・スターンはNBA第4代コミッショナーで、破産しそうだったNBAをプロリーグとして大きく成長させて、世界的な事業展開に成功させた立役者です。デビッド・スターンが、Dリーグを『NBA傘下のマイナーリーグ』として、リーグの拡大を発表しました。

この発言を受けて2006年(平成18年)には、ABAA(独立リーグのセミプロ組織)から、田臥勇太さんも所属したロングビーチ・ジャムが、ベーカーズフィールド・ジャムに名称を変更してDリーグに加入した事で、南東部以外となる初のカリフォルニアにもチームが誕生しました。そしてさらに2ヵ月後には、独立リーグのCBAから「ダコタ・ウィザーズ」「スーフォールズ・スカイフォース」「アイダホ・スタンピード」「コロラド・フォーティナーズ」の3チームが加入したことで、Dリーグは更に規模が拡大しました。

また、NBAのロサンゼルス・レイカーズがNBAチームの中で初めてとなるDリーグのチームを所有して、「ロサンゼルス・ディーフェンダーズ」として始動しました。ところが、Dリーグの規模拡大に伴って経営危機が各チームに及ぶこともあって、2005~2006シーズンを最後にロアノーク・ダズルとフェイエットビル・ペイトリオッツが消滅して、翌年2006~2007シーズンにはフロリダ・フレイムが消滅しました。

Dリーグから消滅するチームが出てきていることも事実ですが、その一方では毎年Dリーグへ新規参入するチームが誕生しているため、2007~2008シーズンからは「ユタ・フラッシュ」「アイオワ・エナジー」「フォートウェイン・マッドアンツ」の3チームが参入して、2008~2009シーズンから「エリー・ベイホークス」と「リノ・ビッグホーンズ」の2チームが参入。2009~2010シーズンからは「メイン・レッドクローズ」と「スプリングフィールド・アーマー」の2チームが参入して、2010~2011シーズンからは「テキサス・レジェンズ」がDリーグに新規参入しています。

Dリーグならではの特徴

NBAが単独でチームを所有するケース
チームの「ロサンゼルス・レイカーズ」や「サンアントニオ・スパーズ」といった、NBAのチームが単独でDリーグのチームを所有する場合もあります。近年では単独でチームを所有する傾向が増加しています。そのため2014~2015シーズンからは、NBAのチームのうち実に17チームがDリーグチームを所有しています。
DリーグとNBAの関わり
NBAの各それぞれのチームは、Dリーグの各チームと提携を組んでいます。NBAチーム2~3チームあたりが、Dリーグ1チームと提携しています。
選手とDチームの契約方法
選手はDリーグと契約を交わします。そしてその後に、Dリーグが主催するドラフトによってチームが編成されます。チームと選手個人とは契約を交わしません。Dリーグのドラフトですが、毎年11月上旬に開催されます。選手の異動が激しく、また多数の選手を獲得する必要があるため、ドラフトは10巡目まで行われます。
DリーグからNBAへ昇格ケース
Dリーグのシーズン中に、NBAから10日間の契約などで「昇格」を果たす選手がいます。DリーグがNBAの育成リーグという趣旨もあるため、Dリーグ本来の目的のひとつが達成されたともいえます。この場合には提携先に限らずに、どのチームとも契約を交わすことが可能になります。
NBAへの登録
NBAのチームは15人までが支配下選手として登録することができますが、NBAドラフトで選出されたばかりの新人選手であったり、即戦力ではない選手は最初はDリーグに送り込んで、NBAへ通じる技術を向上させることが慣例になっています。このようなケースの場合には、提携先のチームにしか新人選手を送り込むことはできません。また、1選手につき、シーズンで3回までしか送り込むことが認められていません。

独立リーグのABA

DリーグはNBAのマイナーリーグ的、またNBAへ通じるプロバスケットプレイヤーを育成する目的のリーグですが、ABA(アメリカン・バスケットボール・アソシエーション:American Basketball Association)は本部をインディアナ州のインディアナポリスに置く独立したリーグです。

ABAリーグの歩み

設立したのはDリーグよりちょっと早い1999年に設立して、翌年の2000年からABAリーグの興業が始まりました。ABAリーグは2シーズン活動を行ったところで、2002~2003シーズンに活動を休止しましたが、休止した翌年の2003~2004シーズンに再び活動を再開しました。

ABAリーグが創設した当初は8つのチームが所属していましたが、休止した後に新たなビジネス展開での大規模なリーグの拡張に取り組んだことから、2004~2005シーズンには30以上、そしてそれ以後はさらなるチーム増加がされています。実質的に拡張費用としてABAリーグに参入するためには、2万ドル~3万ドルをABAリーグに支払うことで、フランチャイズの権利が与えられていましたが、現在では5万ドルまで上昇しているほど人気が高くなりました。

ただし、チームの経済状況によっては遠征に参加できないチームも出てきたり、シーズンの途中で解散を余儀なくされるチームもしばしば存在しました。そしてkのような事態は2005~2006シーズンにもありました。

ABAリーグの特徴

女子もOK
ABAリーグでは女子選手の参加も可能です。そのため過去にはNBAの全面的な支援の下に発足したWNBAA (Women's National Basketball Association:女子プロバスケットボールリーグ) の選手も参戦していました。
チームでリーグ移籍もあり
ABA所属しているチームが、他のリーグに移るケースがあります。2004年にABAリーグチャンピオンの「ロング・ビーチ・ジャム」はDリーグへ移籍しています。
アメリカ以外でもOK
北米といったアメリカだけのチームではありません。カナダ、メキシコにもチームがあり、一時期はハワイにもチームがありました。最近では2010年(平成22年)に静岡ジムラッツが日本人チームとしてABAトラベリングチームとして参戦しています。
目指せNBA
Dリーグと同じく、NBAチームに採用されなかった選手がABAリーグでプレイするケースも多くあります。ABAリーグのトップクラスの選手には、NBAへの進出を狙っている選手が多くいます。そのため、アメリカ国内独立リーグでは、規模そして選手レベルはトップクラスになっています。

野球よりサッカーよりバスケがもっと見たい

日本人でABAに所属した選手

2000年(平成12年)
長谷川誠「サンディエゴ・ワイルドファイアー」 日本人の男子プレイヤーとして初海外プロリーグ選手です。
2003年(平成13年)
田臥勇太「ロングビーチ・ジャム」この時には髪染めでタトゥで有名なデニス・ロッドマンもいました。2人はこのシーズンチームメイト。田臥は、翌年もロングビーチと契約しています。
2004年(平成14年)
森下雄一郎「ニュージャージー・スクワイヤーズ」高校卒業後、単身渡米してストリートコートから勝ちあがった人物。
2004年(平成14年)
藤野素宏「ハーレム・リバイバル」早実⇒早稲田大でアシスト王獲得⇒渡米。2005年~2006年はABAストロングアイランド・サウンドへ移籍。
2004年(平成14年)
宮田諭「オンタリオ・ウォリアーズ」早稲田大⇒NECでクラブチームのエクセレンスでプレー⇒2004年に退社して渡米⇒2005年トヨタ自動車アルバルク入団。
2005年(平成15年)
中川和之「ハーレム・ストロングドッグス」双子の兄中川直之と注目を集める⇒専修大学では大学チャンピオン⇒卒業翌日渡米⇒日本人初のABAのオールスター選手として出場。
2006年(平成16年)
岡田卓也「フレズノ・ヒートウェーブ」 さいたまブロンコスを退団した後⇒フレズノと契約して開幕戦出場して現在は「GYMRATS」を運営。
2006年(平成16年)
菅原洋介「サンノゼ・スカイロケッツ」早稲田大⇒渡米してABAリーグ参戦⇒2007年から日本でプレイ。
2006年(平成16年)
岩佐潤「アトランタ・ヴィジョン」大東文化大4年の時に千葉バジャーズ入団。3on3で優勝して渡米。07~09まで東京アパッチに所属して、現在静岡ジムラッツでABAに参加。
日本のプロバスケとNBAをとりまく環境はどうなってる?!

日本人初のNBAプレイヤーとなったのは田臥勇太です。NBAのスピード感あふれるプレーは目を見張るものがありますが、1970年代後半のNBAはリーグそのものも存続の危機に面した時代もありました。剛腕コミッショナーの存在で、アメリカ本土だけでの人気にだけではなく、世界中にファンを増やしたNBAはどのようにファンを獲得していったのでしょう~!日本のプロバスケの将来もそこに答えがあるかもしれません。