NBA人気の立役者マジック・ジョンソンとラリー・バード

マジック・ジョンソンはバルセロナオリンピックのときに、ドリームチームの一員としてすでに引退していたにもかかわらず、バスケットボールアメリカ代表決定をするUSAバスケットボールがジョンソンに参加の話を持ちかけたことから始まります。そしてドリームチームへの参加を了承したジョンソンが、背中を怪我をしていたラリー・バードはシーズン中からひどい状態だったので参加することに難色を示しましたが、大学時代からのライバルでもあるマジック・ジョンソンの説得を受けて出場することを決意します。そしてその後マイケル・ジョーダンといった当時最高のメンバーが選出されることで、ドリームチーム結成となりました。

二人のライバル関係

ラリー・バードとマジック・ジョンソンは、大学時代にNCAA決勝を争ってから、2人はよく比較されました。そして様々な点での対称性がマスコミによって強調されました。NBAに入団してからも、2人のライバル関係が注目を集め続けたことで、NBA人気をひきあげる原動力のひとつにもなりました。ジョンソンが率いるレイカーズと、バードが率いるセルティックスは1980年代に3回NBAファイナルで対決しています。その結果は、1984年にセルティックス優勝1回、1985年・1987年にレイカーズの優勝2回でした。

正確で頭脳的なバードに対して、華やかでエンターテインメント性に富むマジック・ジョンソンのプレー。バードは言葉少なめ、そしてマジックのほうは笑顔を絶やさない。バードはインディアナ州出身の田舎者のイメージで見られることがあって、マジック・ジョンソンのほうは大都市ロサンゼルスのイメージで見られました。そして両者の人種の違いもあり、またセルティックスとレイカーズがそれぞれ東海岸と西海岸の名門チームということもあります。

2人のライバルだとマスコミが煽ったせいもあって、マジック・ジョンソンとラリー・バードは初めはお互いに良い印象を持っていなかったようですが、1984年のときにふたり一緒にコマーシャル撮影を行う機会がありました。その撮影以降から、2人は交友を持つようになります。そのため後年に、お互いがそれぞれ引退したときに、両者とも互いの引退式に出席しています。

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マジック・ジョンソンのプレイスタイル

マジック・ジョンソンに関して評価が高いのはパスの技術です。マジック・ジョンソンのパスは多彩で、誰もが予想しないパスをしばしば見せました。全く見ていない方向に繰り出す、「ノールックパス」が特に得意としていました。更にノールックパスをする選手の中でも、パスの前に2度3度とフェイクを入れたり、レッグスルーやハンドリングといった複雑な動きを絡めたノールックパスはマジック・ジョンソン独自のものです。

生涯通算アシスト数は10,141になっていて、レイカーズ歴代1位そしてNBAでも歴代4位です。プレーオフの通算アシスト記録2,346を保持。1983年、1984年、1986年、1987年と4度リーグのアシスト王しています。1試合当たりの生涯平均アシスト数は11.2で歴代1位になっています。その他アシストに関する多数の記録を持っています。

ポイントガード

パスの名手といわれる、ジョン・ストックトンやジェイソン・キッドなどとマジック・ジョンソンを比較すると、ノールックパスを生かしたファストブレイクでのパスの裁き方で、早い展開でとっさの視野の広いプレーをしていました。身長は206cmといった高身長でありながらも、ポイントガードを務める選手は、マジック・ジョンソンがプレーしていた当時はとても珍しいことでしたが、当時だけではなくてバスケットボールの歴史のうえでも、高身長でポイントガードを務める選手とはとても稀なケースです。

マジック・ジョンソンが206cmと大変恵まれた身長だったにもかかわらず、ポイントガードでプレーし続けることができた理由には、高校や大学のコーチがマジック・ジョンソンがポイントガードすることに対しての理解と、NBA入りしてから218cmのセンター・カリーム・アブドゥル=ジャバーが、レイカーズのチームメイトにいたことといった、環境に恵まれたこともありますが、マジック・ジョンソン自身がガードの中でも高い身体能力とボールハンドリングを備えていた事が大きいといえるでしょう。

マジック・ジョンソンが登場してから、彼にあこがれて長身でもポイント・ガードでプレーすることを希望する選手が増えていますが、チームに他に長身でリバウンドやポストプレーをこなせる選手がいないと、センターやフォワードへの転向することを余儀なくされてしまう例が多くなっています。

1993年に「オーランド・マジック」にドラフトされたアンファニー・ハーダウェイは201cmのポイント・ガードでしたが、ドラフト後には得点力を生かすためにシューティング・ガードに転向させられています。また1995年「ミネソタ・ティンバーウルブズ」にドラフトされた高卒選手のケビン・ガーネットは「史上初の7フィート (213cm) のポイント・ガードになりたい」と語っていたことがありますが、チーム事情もあって、スモール・フォワードから後にパワー・フォワードでプレーしています。その一方で、フォワードということになっているラリー・バードは206cm、また元シカゴ・ブルズのスコッティ・ピッペン 201cmは、ボールさばきやアシストパスも非常に上手だったのでフォワードといいながら、実質的にはチームのポイント・ガードをこなしていました。

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トリプル・ダブル記録

マジック・ジョンソンは、パス・アシストに才能を持っていただけではなく、オールラウンドな選手でした。1試合で得点、リバウンド、アシスト、スティール、ブロックショットのうちの3部門で2桁を上げるトリプル・ダブルを、ジョンソンは生涯で138回記録していて、NBA歴代2位でになっています。 歴代1位は1960年代を中心に活躍して、シーズン平均で唯一トリプル・ダブルを達成しているオスカー・ロバートソンの181回です。

ジョンソンがNBA入りしてからトリプル・ダブルの成績を上げることが多くなったため、記録として認定されるようになりました。ジョンソンは長らくNBA最多のトリプル・ダブル達成者と言われてきましたが、最近になってようやくロバートソンの時代の記録が詳しく調べられるようになったため、ジョンソンよりもロバートソンの記録の方がさらに多い達成回数になっていることが判明しました。他にウィルト・チェンバレンも、かなり多くの達成回数があると見られていますが、記録が詳しくわかっていない試合も多くなっています。

キャリアの末期に、フリースローを非常に高い成功率で打っていて、1988~1989シーズンは成功率91.1%でリーグ首位を記録しています。ラリー・バードも何度かこの部門でリーグ首位に立っていて、マジック・ジョンソンの翌年1989~1990シーズンには、再びバードがフリースロー成功率でリーグ1位になりました。

日本のプロバスケとNBAをとりまく環境はどうなってる?!

日本人初のNBAプレイヤーとなったのは田臥勇太です。NBAのスピード感あふれるプレーは目を見張るものがありますが、1970年代後半のNBAはリーグそのものも存続の危機に面した時代もありました。剛腕コミッショナーの存在で、アメリカ本土だけでの人気にだけではなく、世界中にファンを増やしたNBAはどのようにファンを獲得していったのでしょう~!日本のプロバスケの将来もそこに答えがあるかもしれません。